このページでは、私の20代から現在のホームページ制作事業を始めるまでをご紹介します。
少しでも私のことを知ってもらいたくて、過去の出来事も含めて赤裸々に書きました。
お時間に余裕がありましたら、最後まで読んでいただければ嬉しいです。
この記事を書いた人

武林弘輔 / 山口市のホームページ専門家
何をしてもうまくいかなかった20代
「ああ、この先どうやって生活すればいいんだろう」
24歳だった私は埼玉のアパートの一室で、深い暗闇の中にいました。
何をしてもうまくいかない_____そんな20代でした。
生まれも育ちも山口県山口市。高校までこの山口市で生活し、一年浪人して関西の大学に進学します。
大学の4年間はそこそこ楽しめた思い出があります。
思い返せば、もっとチャレンジすればよかったなと思うことはありますが、それでも楽しい時間を過ごせました。
ですが、私にとっての20代は大学を卒業してからが本番だったのです。
楽しかった会社員時代の半年
大学卒業後、東京のシステム開発会社に就職しました。
正直なところ、「この会社に就職したい!」と思ったことはなく、いくつか面接を受けた会社の中で唯一内定をもらえたから就職したようなものです。
- なんとなくパソコンが好きだった
- 東京に憧れがあった
この2点が就職の決め手でした。
そんな何となく決めた会社だったものの、就職してから半年くらいは楽しい会社員生活を満喫できていたと思います。
多くの同期に恵まれたこと、何もかもが初めての経験だったことなど、新鮮な東京ライフ(家は埼玉でしたが)を満喫していました。
突然の体調不良
上京してたった一年で挫折
異変が起きたのは、10月に配属先で働き始めてからです。
私の会社は、人材派遣のような形で、客先で常駐して仕事をするスタイルでした。
9月まではずっと会社で新人研修を受けていましたが、10月から初めてプロジェクトに配属されたのです。
配属先は、車載器(主にカーナビ)のリリース前のテストをするための準備プロジェクト、という少し変わったプロジェクトでした。
テストに必要なデータの作成、海外でテストを行うための情報収集などを行うことになります。
しかし、残業は当たり前の現場で、終電まで残業することはしばしば。私の心身は少しずつ削られていったのでしょう。
徐々に、オフィスで人と一緒に過ごすことに強いストレスを感じるようになりました。
さらに東京ですから、出勤も退勤も電車を使うことになります。今思えば、この電車がかなりきつかったですね。
調子を大きく崩した日は電車の人混みに耐えられず、赤羽から埼玉の武蔵浦和までタクシーを使ったこともあります。またある日は、電車に乗ることすらできず、3時間かけて歩いて帰ったことも。
それぐらい見えない何かに追い詰められていきました。
プロジェクト任期満了。しかし体は限界だった
そんな生活が続いていたものの、何とかプロジェクトの任期満了まで仕事を続けました。2018年2月のことです。
その後、1ヶ月後にまた新たな配属先が決まり、そこで数週間ほど働きました。しかし、その頃にはもう仕事ができるような体ではなくなっていました。
そして、ある日出勤をするための電車にすら乗れなくなります。そのままアパートに帰宅し玄関前で絶望したことを今でも鮮明に覚えています。
それからは、1ヶ月会社を休職し、そのまま会社を辞める流れとなります。
辞める旨を伝えた際に上長からこう言われました。
「このまま地元に戻っても今と変わらないと思うよ」
何となく分かっていましたが、当時の私は会社を辞めて地元に戻る決断をしました。今考えれば、上長は本当に心配してくれてたんだなと思います。
地元山口で再始動
しかし、上長のいう通りの生活に
地元山口に戻ってから、再び生活をスタートさせます。
しかし、一度壊れた身体では思うように働けませんでした。
- 光市の部品メーカー(8ヶ月)
- 製薬会社(1ヶ月)
- カフェのアルバイト(3ヶ月)
- 農業のアルバイト(2年間)
28歳までに以上のような職場で働きましたが、いずれも長くは続きませんでした。農業については2年間働かせてもらい大変お世話になりましたが、働いている最中は辛いものがありました。
ここで、上長が言ってくれた言葉を思い出します。
「このまま地元に戻っても今と変わらないと思うよ」
はい、本当にその通りですね。東京から山口に場所を変えても、働いているときの精神的なキツさは変わりませんでした。
そんな感じで「このままだと同じことの繰り返しだな」と思っていたとき、一つの希望が見えます。
スクールで学んでオンラインの可能性に気付いた
あるとき、なんとなく新聞を眺めていたところ、次のような記事を発見します。
「愛媛発、オンラインのプログラミングスクール」
これだ、と思いました。
自分は今まで周りに人がいる環境で仕事をしてきました。しかし、オンラインで仕事ができれば、今の精神的な辛さを感じずに続けられるかもしれない。
そう思った私は、すぐに入校の手続きを進め、スクールに入校します。
新型コロナが転機に
スクールに入校した当時の私には、オンラインで生活していける保証はどこにもありませんでした。
しかし、スクールに入校した2021年は新型コロナウィルスの騒動真っ只中。リモートワークが急速に普及し、世間では「在宅」という働き方が定着していきます。
皮肉なことですが私にとっては追い風となり、スクールで学んだことを活かして徐々にリモートワークの仕事を受注できるようになりました。
そして、その仕事内容が現在の私の事業であるホームページ制作です。
スクールに入校してたった一年ですが、私の生活は大きく変わりました。
ホームページ制作、講師として活動を開始
自分なりの幸せを見つけた
その後、スクールのご縁もあり、オンラインでスクールのTA(ティーチングアシスタント)を始めます。並行して、オンラインで受注から納品までできるホームページ制作も開始。
スクールの運営には4年も関わらせていただきました。生徒の頃に誘ってくださった方々、TA活動をサポートしてくれた方々にはとても感謝しています。
在宅での仕事が定着し、20代の頃に比べて今はとても生きやすくなりました。
もちろん、今でも人が集まる場所に行くのは苦手です。しかし、精神的に安定する時間が増えたことによって、少しずつですが人と関わる時間も増えてきています。
Webで困っている人を助けたい
今は、あの頃の自分が欲しかった「伴走者」になりたいと思っています。
東京で限界を迎え山口に戻ってきたとき、次に何をすれば前を進んでいけるかわかりませんでした。
ホームページも同じだと感じています。
「作ったはいいけど、その後どうすれば…」「更新したいけど何を変えればいいか…」そうやって止まってしまっている事業者さんが、山口にはまだたくさんいます。
私がやりたいのは、作って終わりではなく、作った後も一緒に考え続けることです。技術的なことは全部こちらで引き受けます。あなたは本業に集中してください。
対面が苦手な方も大丈夫です。私自身、人混みや対面のやり取りに疲れやすい人間なので、相談はすべてオンラインで完結できるようにしています。
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